「ミカエラさまにお似合いなのは、赤色だと思っていましたが。金色もお似合いになりますね」 侍女は鏡に映るミカエラとドレスを眺めながら、うっとりと呟いた。「そうかしら?」 ミカエラは、まじまじと鏡を覗き込む。(いつもとは違う、とは思うけど。似合っている……かしら?) ミカエラは首を傾げた。 少し癖のある黒くて長い髪がサラリと揺れる。 ミカエラの肌を黒髪がより白く見せて血色の悪さが目立つが、金色のドレスは華やかに輝いて青白さを目立たなくしてくれていた。「ええ。よくお似合いですよ。髪はいかがいたしましょうか。アップにしましょうか。それともハーフアップにして、華やかな巻き髪にいたしますか? どちらもお似合いになると思いますよ」「どうしましょう……」 ミカエラは困ったように眉尻を下げた。(わたくし、着飾ることにあまり興味がないの。だって誰も褒めてはくれないし、粗探しされるばかりで楽しくない。このドレスも派手だと言われそうね。そして王太子殿下の贈り物だと聞いた途端に態度を変えて、褒め称えるはずよ) ミカエラは贈られたドレスを着た自分が、夜会会場に集まった貴族たちから、どのような反応や対応をされるのかを想像して、げんなりした。 馬鹿にされるのも、軽蔑されるのも、興味本位の視線を向けられるのも、うんざりする。 だが侍女はウキウキとミカエラを飾り立てる算段をしていた。「んん……ハーフアップにして、おろした髪を縦巻きにしましょうか? そのほうがドレスの色が……んっ、ミカエラさまの色として、引き立つかもしれませんわ」 侍女はミカエラの髪を上げたり、下ろしたりして鏡の前で悩んでいたが、何か思いついた様子で表情を輝かせた。(わたくしの気持ちなんてどうでもいいわね。ルディアの機嫌がよくなるのは助かるわ) 自分の秘密を知っている侍女の機嫌はよいほうが、ミカエラの安心に繋がる。「任せるわ」
日差しが強くなり夏の気配が近付いた頃。 ミカエラの自室にリボンのかかった大きな紙箱が届いた。 アイゼルからの贈り物だ。「素敵なドレス……」 紙箱を開けたミカエラは、そのなかに収まっていた豪華なドレスを前に息を呑んだ。 横から覗き込んでいた侍女のルディアは弾んだ声で言う。「まぁまぁ。なんて素晴らしいドレスなのでしょう。やはり、王太子殿下はミカエラさまのことを気にかけていらっしゃるのね」 戸惑うミカエラとは対照的に、ルディアは上機嫌だ。「私は、ミカエラさまの侍女ですから。ミカエラさまに美しく装っていただける夜会の席は腕の見せどころですわ。こんな美しいドレスなのですもの。腕が鳴ります」 ルディアは目をキラキラさせて届いたドレスを見ている。 メイクやヘアメイク、全身のコーディネートなどを担当する侍女にとっては、夜会の席は実力をアピールする絶好の機会だ。 だからミカエラの侍女が前のめりになるのも無理はない。「ええ……お願いするわ……」 ミカエラは侍女の反応に戸惑いながらも、ドレスの美しさにうっとりした。 夜会用として届けられたドレスは、王太子の金髪を思わせる金色がベースとして使われている。 黒地に金で大きな薔薇の刺繍を施された生地が、胸元やドレスの裾にアクセントとして配されている華やかなドレスだ。 前を大きく開けてガウンを羽織っているように見えるデザインのドレスは、袖と脇や背中の部分は王太子の瞳と同じ青が使われていた。 その上にも細かく大胆に入れられた金の刺繍。 袖口にあしらわれているレースは黒。 他の部分は白に金の刺繍の入ったレースが使われていた。 ドレスの色は? と聞かれれば金色なのであるが、王太子の瞳の色はもちろん、ミカエラの色も取り入れられている。 まさに王太子婚約者であるミカエラのためのドレスだ。「合わせてみましょう、ミカエラさま」 言われるがまま、ミカエラはドレスを纏ってみた。「あぁ、お似合いですわ。王太子殿下がミカエラさまのために、お見立てになっただけのことはありますわね。おふたりの色も取り入れてありますし。何より、ミカエラさまをよくご存じであることがわかりますわ」「そう、かしら?」 侍女から意外なことを言われてミカエラは戸惑った。「ええ。ドレスのデザインはもちろん、細くてもドレスのシルエットが綺麗になる
アイゼルの一日はそれなりに忙しい。 22歳の王太子の受け持つ執務は、時間が経つにつれ国王のそれへ近いものになっていく。 朝。 溜息を吐きながら目覚めたアイゼルは、モソモソと起き上がるとベッドの端に腰かけた。 ラハットが見えるようになったアイゼルは、自分の守護精霊へ相談するのが毎朝の日課になっていた。「執務もしなければならないし、政治的なバランスを考えた付き合いも必要だ。私を国王にしたくない勢力による暗殺計画も増えている。ミカエラの命も守らなければいけないのに、その上、恋の駆け引きまで必要なのか⁉」『ウフフ。最後のが一番大切なんじゃないの?』 ラハットは青い光をチカチカさせながらアイゼルの周りをクルクル回りながら飛ぶ。 青い瞳に青い髪の守護精霊は、発光すると青い光を放つのだ。「ラハットがミカエラの命を守ってくれると確約してくれるなら、私は恋の駆け引きに集中するよ」『ウフフ。確約だって。それは無理~』 清廉な愛の守護精霊は、純粋で無邪気な上に正直だった。「分かってるよ。だからせめて暗殺計画くらいはキチンと教えてくれ」『守護精霊は賢いわけでも、万能なわけでもないからね。無理』「だったら、何ができるんだ⁉」『んと……応援?』 精霊な愛の守護精霊は、青色のポンポンを持って振りながらフワフワとアイゼルの周囲を飛んでいる。 キラキラ光りながら青色の房状の玉がフワフワ揺れる様は綺麗だが、アイゼルの悩みを解消してくれるかといえばそうでもない。「私が暗殺を避けることと、ミカエラへの直接的な攻撃を防ぐこと。この2つくらいは叶えてくれよ」『難しいね。でも危険は何度か教えてあげたでしょ?』「そうだが……」 アイゼルは不満そうな表情を浮かべた。『ボク、何回教えてあげたっけ?』 アイゼルは右手を広げるとラハットに教えられた危機の回数を数え始めたが、両手でも足りないことに気付いて途中で止めた。「冷静に考えると回数多いな?」『でしょ? ミカエラの守護精霊が教えてくれた分もあるし。そりゃ多いよ。アイゼルがボクのこと見えるようになるまで、どれだけハラハラしながら見守っていたか、分かる?』「……あっ」『もう、アイゼルは変なところで鈍いんだから。もっとも、アイゼルが国王になる日も近いから、回数は激増しているけどさー』 ラハットが肩をすくめて両手のひ
爽やかな朝。 執務に取り掛かる前のアイゼルは荒れていた。「やっぱりミカエラは狙われた!」 アイゼルは執務室に入るなり、悔しそうに呟きながら上着をソファに叩きつけた。(守りたいから冷たくしていたのに。ちょっと優しくしようとしたらすぐコレだ! 私はどうすればいいんだっ) 立ったままギリギリと奥歯を噛み締めるアイゼルに、護衛騎士の代表として来ていたレクターが報告する。「ミカエラさまにぶつかったのは男爵令嬢だったよ」「なんだって⁉」(政敵かと思ったのに、なぜ令嬢が⁉) 混乱するアイゼルに、レクターは冷静に伝える。「犯人の令嬢は捕まえたよ。暗い色のドレスを着て、物陰に潜んでいたようだ」「なぜそんなことを!」「そりゃアイゼル。お前のせいだよ」 レクターの意外な言葉に、アイゼルは目を見張った。「私のせい、だって?」「ああ。そうだ。お前は婚約者がいながら、他の令嬢にも気のある素振りを見せていたからな」「だからって……」 苦笑を浮かべたレクターは、戸惑うアイゼルに諭すように言う。「貴族にとって王太子の寵愛を受ける娘というものは、価値があるものだよ。側室でも愛妾でも構わない。王太子や国王との繋がりが持てるのなら、貴族は娘の命だって差し出すだろう」「それがミカエラへの襲撃と、どうつながる?」 眉根を寄せるアイゼルに、レクターは説明する。「ミカエラさまを亡き者にすれば、正妻の座を狙えるじゃないか」「あ……」 ミカエラ以外を正妻として迎える気のないアイゼルにとっては、レクターの意見は意外なものでしかない。「お前がミカエラさまへ冷たい態度をとっていれば、正妻の座だって夢じゃないと期待する令嬢がいても不思議じゃない」「だからって……」 戸惑うアイゼルに、レクターは肩をすくめて両手のひらを上にむけると、わざとらしく溜息を吐いてみせた。「嫉妬というものは厄介だ。全く相手にされていないと思っていたミカエラさまへ、お前がドレスを贈るって話が出たんだ。そのせいで焦った令嬢が彼女を狙ったんだろう」「ドレスごときで⁉」 アイゼルが驚いて声を上げると、レクターは上げた手のひらをヒラヒラと動かしてみせた。「お前は女の嫉妬の怖さを知らないな? お前は王太子という立場を除いてもモテるんだから、ミカエラさまが嫉妬されたって不思議はないだろ?」「だから
ミカエラの朝は神殿に向かうことから始まる。 今朝も護衛騎士を引き連れて、神殿への道を歩いていた。(ドレスが届くのは何時かしら? 夜会の時期を考えたら、そろそろ届くころだけれど……) ミカエラは愛しい婚約者から届く予定のドレスを楽しみにしていた。 足取りは自然と軽くなっていく。 (また傷付けられないか、怖いけれど……好きな方からの贈り物が楽しみでない方などいて? いえ、いないはずだわ) ミカエラはアイゼルの姿を思い浮かべた。 スラリと背が高く、整った美しい顔に金の髪。(甘く微笑んだアイゼルさまの、あの青い瞳に見下ろされれば、全てが溶けてしまうのよ。わたくしは、恋に落ちてあの方を愛してしまう。何度でも。何度でも……) ミカエラの意識が甘く染まった瞬間。(え?) キラキラとしたオレンジ色の光が、彼女の視界の端に見えたような気がした。 (虫?) 体にまとわりついてくるような光に気を取られて、ミカエラは立ち止まる。 と、その瞬間。 ドンと背中を押す手の感触がした。「あっ⁉」 目の前には神殿へと続く長い下りの階段がある。 ミカエラの体は、この石造りの長い階段を転がり落ちれば無事では済まないだろう。 だが生地をたっぷり使った見てくれだけは豪華なドレスを着たミカエラは、押された衝撃を受け止めることなどできなかった。 ミカエラの足は地面を離れ、体は宙に浮いた。 (落ちるっ!) 思わずミカエラは目をつぶった。「危ないっ!」 大きな声と共に、安定感のある逞しい体がミカエラを包んだ。(あ、危なかった……) 鍛え上げられた体に抱き留められ、ミカエラは安堵の溜息を吐いた。 ギュッとつぶった目をゆっくりと開くと、オレンジ色の光がキラキラと目の端に映った。(わたくしが、狙われた?) 王太子婚約者であるにもかかわらず、無価値な存在として扱われ過ぎたミカエラにとっては、自分が狙われたという危機的な事態が、いまひとつピンとこない。 男性の怒声が「あいつを追え!」と指示を出し、バタバタと慌ただしく人の動く気配がする。 いつもは静かな神殿への道が騒然としているのを感じながら、ミカエラは呆然としていた。 赤いドレスを常に着ているミカエラは目立つ。 (黒髪に赤いドレスを着ている貴族女性なんて、わた
アイゼルは守護精霊が見えるようになって、秒で馴染んだ。 もともと神殿との繋がりが深く信心深い王族であるアイゼルにとっては、守護精霊を信じないという選択肢はない。(心の底から安心して相談のできる相手が、初めてできた。しかもそれが守護精霊さまだなんて。私はなんて運が良いのだろう!) アイゼルは心の底から喜んだ。 しかし謙虚な心で守護精霊ラハットに対応できた期間もわずかなものだった。 なにしろラハットは精霊で、体はとても小さく、マスコットのお人形のように可愛らしい容姿をしている。 しかもフレンドリーだ。 堅苦しく敬い続けることのほうが難しい。 ベッドサイドへ腰を下ろしたアイゼルとラハットは、他人には知られぬように会話を続けていた。「ラハットさま」『堅苦しいよ。【さま】なんていらない。ただ【ラハット】って呼んで』「そんな守護精霊さまを呼び捨てなんて」『いいって、いいって。これから長い付き合いになるんだもの。そもそもアイゼルから見えるようになったのが今のタイミングってだけで、ボクはアイゼルが赤ちゃんの時から側にいたよ?』 アイゼルは驚いた。「本当ですか? ラハットさま……いえ、ラハット」『本当だよ~。だからアイゼルが大変な立場にいるのも知ってる~。ボクに出来ることなんてあまりないけど、愚痴くらいなら聞いてあげられるから遠慮しないで』「えっ? 守護精霊さま相手にそんな……」 最初は遠慮がちだったアイゼルだったが、身支度前のわずかな間に長年の親友のような関係を築いた。 お悩み相談は愚痴大会になり、悪口大会の様相を見せ始めた頃。 ラハットの絶妙な話題の切り替えによって恋愛相談となった。 ずっと2人を見守っていたラハットにとってはお見通しの内容ではあったが、アイゼルは真剣にミカエラへの想いと現状とを伝えた。『それ、アイゼルが悪いよ』「ラハットは容赦ないな」 そんな会話をする頃には、敬称のとれた呼び方も様になっていた。『確かにアイゼルは狙われているから、ミカエラの秘密がバレたりするのはマズイよ? でもさ彼女への想いについては、かえってミカエラを守る役割も果たしてくれると思うんだ』「えっ? そうなの?」 本気で驚いているアイゼルを、ラハットはジト目で見つめた。『アイゼルは変なところで鈍いから。ミカエラがアイゼルの想い人であることを